奇跡、父親のガンが治ること、父親のガンが消えてしまうこと。
願いました。
その私の心が、父親にとってはもしかしたら”邪魔”だったのかもしれない、”迷惑”だったのかもしれない、”辛かった”のかもしれない。
本人が奇跡が起きることをどんなに渇望してもどうにもならない。だから、受け止めてくれ、そう思っていたのかもしれない。
私は受け止める、受け止めているよ、というフリをして、心の中では頭の中では奇跡を願っていました。
正直なところ、余命宣告をされた当初は奇跡を願うばかりしていましたが、時が進むにつれ、”受け止める”ということをしていったと思います。
心の中のパーセンテージが、当初は願い99%受け止める1%、だったのが、願い1%受け止める99%になっていきました。
奇跡を願う、、、、人から見れば何言ってるんだ、何してるんだ、ということも多々あるでしょうね。
しかし、当時の私には支えになりました。
ですから、こんなに弱い人間もいるんだと、今同じような状況の方がいれば安心してほしいと願います。
そして、自分なりの奇跡を感じられたり、もしくは本当に奇跡を起こすことができたなら、と願います。
私が実践した11の奇跡を願う行動を下記に記録します。
1.「ありがとう」という言葉を言う
2.「ありがとう」を言うことで起きた病気に関する奇跡の実例を探す
- 本を読む
①『ありがとうの神様』(小林正観)
- ネット記事を探す
3.病気が快方に向かったという医学的根拠のある動画を見る
①キャンサーネット
4.トイレ掃除を素手でする
①自宅
②公共施設(駅・デパート)
5.奇跡が起こると書いてある動画を見る・流しっぱなしにする
①もっちー
②純ちゃん
6.持っているだけで奇跡が起こるという本を常に外出時持ち歩く
①もっちー
7.不安・愚痴・不平不満・悪口を言葉にしない
8.手当=身体に触れる
9.感謝する
10.掃除する
11.願望実現の本を読む
奇跡が起こってほしい。
奇跡を起こしたい。
奇跡とは、つまりは、その時の私にとっては“父親のガンが治る”こと。
よく、奇跡は毎日・毎瞬起きている。そんなふうに書かれている・言われていますよね。
確かにその通りだと心から思っています。ちゃんと思えていると思います。
父親が余命宣告をされ、一緒に一日一日を共に過ごせることにこの上ない喜びと幸せを
感じ、この喜びと幸せがこの先もずっと続いてほしいと思っていた私は、この歳になり
やっと、この言葉の本当の意味が分かった気がします。
その意味を十分感じつつ、実感しつつ、それでも、さらにの奇跡、つまり“父親のガンが
治る“ということを願わずにはいられませんでした。
よく、“死ぬことは誰にでも平等に起こる変えることのできないこと”“寿命は生まれる前
から決まっていること“”自分自身でその宿命を決めて人間は生まれて来る“といった風な
こと、書いてあります。見ます。
それは生きている人間には絶対に100%確信的に正確に分からないことで、でもそれは
事実かもしれないことかもしれません。
正直なところ、こんなことを書いている私自身、それらの言われていることを信じているんです。
それでも、それはあくまで私自身のことのみで、いざ、大切な人のことになると、
いくら生前から自分自身で決めてきた死因や寿命だとしても、すんなりと
「あっそ、じゃ、しかたないですよね。初めから自分で決めてきちゃったんだから」
なんて、受け入れられないんですよね。納得できないんですよね。
反発したくなるんです。怒りにも似た感情が出てきちゃうんです。
宿命で決められていることだとしても、こうして私が奇跡を願って行動することさえも、
宿命というあらかじめ決められていることだとしても、奇跡を願うわけです。
すんなり受け入れる、病気に対してさえ感謝する、そんな方もいるのは知っています。
凄いですね、素晴らしいですね、とは思います。
しかし、あの当時の私は、それだけです。
尊敬も、羨ましいとも、人間としてできていますね、素晴らしいとも思いませんでした。
病気を怖がったり、恨んだり、憎しみを抱いたり、人が羨ましいと思ったり・・・
そんなことを思いそういう感情を抱いている人の方がよっぽど人間らしく、当たり前のことだと思いました。
今でもそうです。
なかなか、受け入れることも、全てのことに感謝することも、
難しい、、、。
もし神様から、他人から、「人間できてないね」「ちっちゃい人間だねぇ」なんて馬鹿に
されたとしても、「そうですよ。ちっちゃい人間です。だから助けてください」って堂々と
言い張れると思います。(笑) 縋れると思います。頭を地べたにこすりつけて。
あっと、話がそれてしまいました。
感情的になってしまいますね、まだまだ。
そう、そんな私が奇跡を願い試したことを紹介します。
で、そんな私にどんな奇跡をじゃあ神様は起こしてくれたのか?はこちらの記事を
ごらんください。➡
※初めにここで書いてしまいますが、“父親のガンが治った”という奇跡は起きませんでした。
ガンが治った、病気が治ったという奇跡だけを見たい方は見ないでね。
がっかりさせたくないから。自分自身が当時その奇跡の実体験ストーリーだけを読みたかったのでその気持ち痛いほど実体験で分かりますから・・。
あ、そういう体験をした方の記事、ネットで探せばけっこう出てきますよ。それらを探して読んでみてください。
私自身がその当時読ませていただいて、わずかながらでも希望を抱くことができたもの、心が少しのみ落ち着いたもの、もこのブログで紹介させていただきますね。
また、今回書いた、“奇跡が起こることを願いした行動”の1項目ごと、具体的にどういう
ことをしたのかは、別記事にて書いていきますので、気になった方はそちらも見てみてくださいませ。
➡リンク
願う奇跡をそのままそのごと起こすのはなかなかに難しいですね。
簡単にできる人もいるみたいですけどね、私はまだまだです。。。
奇跡を願うより、願う行動をするより、現実的に現実的なことをしろよ、というご意見・ご感想もあるでしょう。
その通りだとも思います。
しかし、人の死が関わる、大切な人が余命宣告をされたという時する現実的なことって、
そもそも、何でしょうか?
私は、治療をするか決める。治療をする病院を決める。治療をするお金を用意する。
これぐらいしか思い浮かびません。これだけで十分ではないかと思います。
むしろ、その他のことは、書きたくないですけど死後でもできると思っています、
実体験から。
ですから、自分自身の心の底から浮かんでくる素直な感情に従うこと、行動に移すこと、
これらを私は大事にしました。
仕事を辞め一緒にいられる時間を増やす、引っ越しをし一緒にいられるようにする。
ただ、傍にいたい。その心の底から浮かんでくる本能のような感情を大事にしました。
もちろん自分の未来も大事です。だから生きていけるように仕事は辞めても貯金がいくらあるのか、しばらくは生きていけるか、などなど現実的なことも考えましたけどね。
お金のことは人生つきまといますね(笑)生きるのを助けてくれている大事なものですから
当然ですけどね(笑)
しかし、私はまだ40代。まだまだ頑張れる年齢で、健康に親が生んでくれたこの身体も
あるわけです。
心に従う、それ以外の選択をしようとは私は思いませんでした。
後悔は、どの選択をしたところで少なからず必ずするものだと私は思っています。
後悔をすることは仕方ない。受け止める他にない。
後悔をすることを覚悟して、自分自身の心に従うような選択を。