ありがとうの奇跡

【父が余命宣告をされた娘43歳独身女の仕事の選択】決めるのは世間?会社?違う、自分の本望

父親が癌だと知らされた2021年。

できることは延命治療のみ。治すための治療をできる状態ではない。

残り数か月の余命だと。

ある日突然、医師から伝えられた現実。

「何か自分にできることはないだろうか?」

「私は何をしたらいいんだろうか?」

明確な答えを出せないことを悩み、

「私にできることであれば何でもしてあげたい」

「私にできることであれば何でもしよう」

そんな決意をしました。

脳も心も動揺している中、1つだけはっきりと思ったことがありました。

それは、

【これからできるだけ父のそばにいたい】

ということ。

父のことを知ったのが休日、次の日の出勤日に、“退職をしたい”旨を上司に言いました。

2021年、会社を退職しました。

東京から田舎の実家に引っ越しをしました。

同じような状況で、『仕事』をどうするか?

それぞれの立場や考え方で、決断し選択する道は様々です。

実際に、私の職場内でも、私と同じような状況でありながら、私とは違う選択をした方もいました。

ただ、1つだけ確実なことがあります。

それは、【自分自身で決めること】【自分自身でした選択】だということ。

誰かのためでもない。誰かのせいでもない。

家族のためでもない。会社のせいでもない。

【自分自身で決めること】【自分自身でした選択】

自分自身の人生でする自分自身の人生のためにする選択だということです。

この記事では、父が余命宣告をされた私が選んだ仕事の選択について書きました。

仕事を辞めるにしても、辞めないにしても、辞める選択をした1つの例として参考にしてみてください。

はじめに正直な思いを書きます。

今あらためて思いますが、医者でもない神様でもないただの平々凡々の私に何ができたという大それたことは何もありません。

仕事をしていながらできたこともあったでしょう。

ただそばにいた。

はっきりと確実にできたことは?と問われれば、「ただそばにいた」それだけです。

本来なら仕事をしていたであろう1日8~9時間ほどの時間を一緒に過ごすことができた。

ただそばにいた。

そうできたことが、私はとても嬉しいです。

父が余命宣告をされた当時の私

43歳。女。独身。東京在住。独り暮らし。

中間管理職。正社員。新入社員・中途社員に向けての研修講師。支店業務。出張支店指導。

実家とのつながり→休日に電話。

         2か月に1回帰省。

         コロナのため2020年3月~帰省していなかった

会社からは辞職ではなく休職をすすめてくれました。

未消化分有休がかなりありましたので、有休消化しつつとりあえず様子を見つつゆっくり決めればいいと。

特別有給や介護有休など利用できる制度もこの会社にはちゃんとあるから、自分自身の今後のこともゆっくりと考えればいいと。

有難かったし、嬉しくも思いました。

心が揺れもしました。

しかし、仕事のことでの悩みがありながら働くのならともかく、それ以外の大きな悩みがありながらできる仕事ではないと思っていました。

実際、申し出てすぐに辞められたわけではなかったので、実家との往復をしつつ働いている間、研修の準備、研修、店での業務、支店への出張研修・・と精神も身体もくたくたでした。

また研修中は店での業務とは違い、基本的に1人で担当しているので、もし1日の研修中に父に何かがあった時に途中で抜け出すことはできません。

(在宅ワークでリモート研修中も基本は1人だったため抜け出すことは不可でした)

仕事をする間は集中しようとしつつ、心では頭では勝手に父のことを心配してしまいます。

気が気でない、中途半端な仕事をしていたと思います。

また私は職場が東京、実家が田舎(東京から車で3~4時間)。

父の傍にいながら往復をしつつ仕事を続ける、という選択もできることはできたでしょうが、私は時間も体力も心もそのことに使いたくないと思いました。

お金の心配はしなかったの?今後の就職はどうするの?

仕事を辞める、という決断をし、周囲に言ったときに、よく言われた言葉があります。

「でも、〇〇(私)の人生もあるんだよ。これから生きていかなきゃなんだよ」

「自分の人生も大切にしないとね」

私はいつもこう答えていました。

「だからだよ」

これから先、ずっと私自身が死ぬまで、

「あの時もっとそばにいたら・・」という後悔をしたくなかった。

だから、そばにいれる時間を自分の選択で作った。ただそれだけ。

自分の人生を大切にしたいと心から切実に思ったから、自分の人生で大切だと思える時間を過ごす時間を自分の選択で作った。ただそれだけ。

整理してみれば、ものすごく簡単なこと。

そしてその選択ができるぐらいには、たまたまお金を貯金していた、というだけ。

お金のことより、今後の就職先のことより、仕事を辞めるという決断をしたとき1番私が考えたのは“父の精神的負担”です。

“自分のせいで娘の仕事を辞めさせてしまった。迷惑をかけてしまった”って精神的負担をかけるんじゃないの?

父はとても家族思いです。家族が幸せであることをいつも思ってくれている人です。

私が仕事を辞めることで、

「自分のせいで仕事を辞めさせてしまった。迷惑をかけてしまった。娘の負担になっている。申し訳ない。」

そんな風に思わせてしまうのではないか?精神的負担をかけてしまうんじゃないか?

このことを1番心配しました。

私は父にはっきりと直接言いました。

「お父さんごめん。私は私のためにお父さんのそばにいたい。そばにいたいから仕事を辞めて、実家に帰って来るね。ごめん。お父さんのためじゃないんだ。私がそばにいたいんだよね。」

と伝えました。

その時は何も答えてくれませんでした。何も言いませんでした。

そして、最後に病院で会った時に言ってくれました。

「仕事を辞めさせて申し訳なかった。でも一緒にいてくれて、色々してくれて嬉しかったよ。近くで〇〇が頑張ってくれてたから、頑張れるよ。ありがとうねぇ。」

精神的負担をかけてしまうことは仕方ない。もうお互い様です。

周囲の人に何を言われても、どう思われても、自分自身の本望を、望みを、叶えてあげられるものがあるならば、叶えてあげられる今があるならば、叶えてあげたいと思い仕事を辞めた決断を後悔していません。

仕事を続けるか、休職するか、転職するか、迷っておられる方いるかもしれません。

こんな迷いの解決方法もあるので参考になるような本・言葉を紹介します。

『ありがとうの神様』の概要

著者:小林正観
出版社:ダイヤモンド社
出版年月日:2015/2/14
ページ数:364p

迷いを抱えている時の選択の仕方

 2つの選択肢が

 「51%対49%」なら「51%」のほうを、「52%対48%」なら「52%」のほうを選べばいい。どれほど差が小さくても、「大きいほう」を選べば、自分の望みに近くなります。

 ところが、「50%対50%」のときは、どちらにしていいか決めかねて迷い、結論が出せなくなります。だから、悩みます。

ー『ありがとうの神様』(小林正観)より引用

 

 悩む理由は、どの選択をするのかその選択ごとが自分にとって同じ値で大切だから。

 AとB、どちらを選ぶかで迷ったとき、その2つが自分にとって同じ価値なら、コインを投げてみればいい。表が出たらA、裏が出たらBにすればいいのです。

 コインを投げる前に、「Aになるのはいいけれど、Bになるのはちょっと・・・・・・」と思ったとしたら、答えは出ています。「AのほうがBよりも重い」証拠なので、Aを選べばいい。

ー『ありがとうの神様』(小林正観)より引用

 

自分自身の中ではなく、誰かの声や考えに、世間や会社からの普通に迷われる方は、こんな考え方もあるので参考にしてみてください。

たとえば、ガラスのコップを見たとき、お箸を見たとき、茶碗を見たとき、100人が100人全員がそれぞれそれは「ガラスのコップだ」「お箸だ」「茶碗だ」とわかる。

 では、100人が100人とも、「これは『幸せ』である」とわかるものは、あるのでしょうか?

 すべての人が、絶対的な価値を持って「幸せだ」と思えるものは、存在しません。

 Aさんにとっては「幸せ」なことが、Bさんにとっては「幸せではない」ことがあります。
―『ありがとうの神様』(小林正観)より引用

 すべての人が、「幸せだ」と言える出来事や現象があるのではなく、自分が「幸せだ」と思った瞬間に、そう思った人にだけ「幸せ」が生じるのです。ー『ありがとうの神様』(小林正観)より引用

 

 

「自分のこの先を考えず(外からはそう見えてる)仕事を辞めるなんて・・・、」

「これからますます忙しくなるのにこんな時に仕事を辞めるなんて・・・、」

「それができるなんて羨ましいかぎりですねぇ、」

「お金も余裕あるんですねぇ・・・・・」

「私も仕事を辞めてそばにいてあげたいけどそう簡単にはできないのよねぇ・・」

「そう決断したのは間違ってないと思うよ」

「私は仕事をしながら看病して、でもやっぱり後悔してるから・・・」

「仕事をしながらの方が精神的に気が逸れて楽なこともある。辛くなったらいつでも連絡するんだよ」

「人生の中で自分の思いだけを優先する時があってもいい。」

どういう選択をしたとしても、良し悪し関わらず様々な言葉を言われたり思われたりするかもしれません。

ですが、自分の幸せは、自分しか感じることはできません。

他人の幸せは他人の幸せです。

自分の幸せとは、どうすることか?誰といることか?どう過ごすことか?

あの時あの人に~~言われたから。

あの時あの人たちに迷惑や負担をかけてしまうと思って・・・。

※職場で本来私のするべき仕事を他の人がすることになり、迷惑・負担をかけました。

 普段から誰に何があっても対応できるような体制をとっていたとはいえ、やはり迷惑・負担はかけました。

 職場の仲間・上司・部下には本当に申し訳なく、そして感謝しております。

 迷惑・負担を誰かにかけることを正当化しているわけではありません。

 ただ迷惑・負担をかけたにしろ、私の仕事は誰かにできる、誰かが変われること、だということです。

このようなことを言ってしまう自分が、もしあの時違う決断をしていたら、いたと思います。

だから、私は私の決断をし仕事を辞め父の傍にいるという選択をして良かったです。

その選択をさせてくれた父に、感謝しています。

 今、目の前にいる人を大事にする、目の前にやるべきことがあったら、ただ、ひたすら大事にやっていく・・・・・・。私たちにできることは、ただ、それだけのようです。
ー『ありがとうの神様』(小林正観)より引用

 目の前の人を大事にする・・・目の前のやるべきことをただひたすら大事にやっていく・・・。

あの当時の私は、仕事をしながら目の前のお客様、仲間、研修生に心を集中することができませんでした。身体はそこにあるのに、心は実家の方をちらちら向いてばかりいました。

目の前の人が働きやすいように教えてあげるべきことをちゃんと伝えてあげよう、目の前のお客様の未来がうちの商品によって少しでもさらに幸せになるようおすすめしてみよう、目の前の仲間が楽しく仕事できるよう明るい職場にするぞ・・・

以前当たり前に思えていたことが、しようとしていた意気込みさえ持てなくなっていました。ただ身体がそこにあるだけ、、、、。

 

父はよく言ってくれました。

「大丈夫だから、東京言ってる間は、こっちのことは何にも思い出さずに仕事を頑張っておいで。楽しんでおいで。」

 それすらもできない自分が情けなく、とても弱く感じました。

いつも強気で仕事をしていたのに、仕事一筋ぐらいに生きてきたのに、自分にとっての“仕事”ってただの見栄や体裁を良く見せたいだけのものだったのかもしれないと、気づきました。。。

 そして、自分にとっての本当の幸せ、自分の人生にとっての本当に大切なもの、そして

悔やんでも後悔しても戻ることのできない時間の大切さに気付きました。

 思っていたはずなのに、分かっていたはずなのに、いざとならなければ気づけなかった自分に、心から後悔しました。

 これ以上の悔やむ時間を過ごしたくない。そう思いました。

 

 今まで色んな人に、方向に向けていた矢印を、自分に、本当に大切にしたい家族だけに向けることを、せめてこの時間だけは向けることを、しようと思いました。

自分の為に。

ごめんね、お父さん。お父さんの為じゃない、自分の為に。

一緒にいたかったから。そばにいたかったから。

ありがとう。受け入れてくれて。

まとめ

今あらためて思いますが、医者でもない神様でもないただの平々凡々の私に何ができたという大それたことは何もありません。

ただそばにいた。

はっきりと確実にできたことは?と問われれば、「ただそばにいた」それだけです。

本来なら仕事をしていたであろう1日8~9時間ほどの時間を一緒に過ごすことができた。

ただそばにいた。

そうできたことが、私はとても嬉しいです。

Kindle Unlimited 無料体験登録

-ありがとうの奇跡