タイトルを読んだ時、この記事にはふざけていることが書いてあるんだろう・・と思った方、いますか?
父親が余命宣告と書いてあるのに、本をお守りだとか、奇跡とか・・
不快だ。深刻なことだろ!と。
ふざけていませんでした。真剣でした。大真面目でした。
父と一緒に病院に行くときいつも、常に、毎回、私のバッグに入れていたものがあります。
タイトルに書いたように、『ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法』という本です。

この『ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法』という本を知らない方にとっては不思議でたまらないでしょう。
本を持っているのは分かる。➡「読む」んでしょ?
でも、なぜ、毎回毎回同じ本を?
毎回持ち歩きたいほど本の内容が好きなの?読みたい内容が書いてあるの?
違いました。正直なところ、内容を全て読み終わったことはありませんでした。(望月さん、すみませんっ)
じゃあ何故、私はこの本を父の病院に行く度にお守りのように持ち歩いていたのか?
この記事では、
本の紹介
何故、毎回、常に、『ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法』という本を持ち歩いていたのか?
お守りのように持ち歩いていたことでどんな具体的な奇跡の効果があったのか?
を書いてあります。
本の紹介
『ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法』
『ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法』
著者:望月彩楓
出版社:KADOKAWA
出版年月日:2021/2/18
ページ数:216P
どんな本か興味ある方は、今ならKindle unlimitedで月額料金のみで見ることができますよ。(期間があるのでご注意です)
この本のレビュー数にも注目!半端ない数です。他の本であまり見ない数のレビュー。。。すごいな。
何故、毎回、常に、『ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法』という本を持ち歩いていたのか?
父が余命宣告をされたばかりの当時、「病気 奇跡」「余命宣告 治った」などという単語を検索しました。
その当時はまだ仕事をしていて、東京で一人暮らし。
実家に帰るには車で3時間ほど。
仕事を辞める決断をすぐにし上司に申し出ても、すぐに辞めることはできません。
次の休みに実家に帰るにしても、それまでは仕事に通いながら一人で何をしていいかも分からずにいました。
ネットで「家族が余命宣告された するべきこと」と調べれば、もうその後に向けての準備やお金のことなどの気が滅入る情報ばかり。
そういう準備をすることが大事なのも分かっていました。
それでも私はそのような情報を、家族としてするべきこととしてあることに、怒りや苛つきを感じてしまっていました。
私は自然とそのような情報から目をそらし、「病気 奇跡」「余命宣告 治った」などの情報を探していました。
YouTubeでそのような情報を検索していたところ、おススメで出てきたのがこの本の著者である望月綾楓さんの動画でした。
普段の私であれば絶対に見なかった動画でした。
ずばり言えば、胡散臭い。
動画を流しっぱなしにするだけで奇跡が来る。痛みがなくなる。。。。そんな動画。。。
胡散臭い、ふざけるな。
そう思考では思いつつ、心は、感情は勝手に動き、手を動かして動画を見ていました。
川の流れの音の心地よさにも癒されたのかもしれません。
父が余命宣告をされてからなんとも表現できない感情をし続けていた私が、ほんの一瞬でも、なんだかスッと心が落ち着くことができました。
その動画をただただぼぉーっと見終わった後、その動画の中で紹介されていた、読まなくてもいい、ただ持っているだけでいい、という本をアマゾンで購入していました。
胡散臭いという気持ちも、怪しいなという気持ちもなくなっていました。
信じたとか信じないとか、そういう気持ちを感じることもなく、ただ購入していました。
今の自分に必要なものだと自然と思えたのです。
著者さんのことをまったく知らず、YouTubeも見たことがそれまでなかったのに。
龍ってそもそも何言ってるの?とも考えず。
(それまでの私なら、は?本気で龍が見えるとか公の場で言っちゃってるの?こわっでもう二度と見ない、見ないようにしていたでしょうが。。。。(笑)
今考えると、本当に不思議です。
それから彼女の動画をいくつか見るようになりました。
いつの間にか、もっちーさんのことが大好きになっていました。
そして、あの当時の動画の中でよく話していた、紹介していた『ミラクルばかりの幸福な人生に変わる 七龍神の開運お作法』をお守りのように持ち歩くようになりました。
※著者さんには申し訳ないのですが、あの当時、本当に持ち歩くのみで、バッグの中に常に入れているのみで、本の中身を全て読んだことはありませんでした。。。。
(というのも、病気に関しての奇跡、ですとか、は全く書いていない本なので。
あの当時私が求めていた奇跡については、パラパラっと見た感じ書いていないようだったので、内容をほとんど読みませんでした。。。)
本当のお守りのように持ち歩いていました。
今になって改めて本を買うきっかけとなった動画を見てみたのですが、本を持っているからといって、「奇跡が起きる」なんて一言も言ってないんですよね。奇跡を求め過ぎていた私の早とちり。
それでも、奇跡を求めていたあの当時の私は、何故かこの本に惹かれました。
動画の中で、この本は著者自身の口からこのように紹介されています。
”子の本というのは結局さ、読むとか、内容を理解して、とかじゃないわけよ。この中に入っている内容全てが、一つの龍なんですよ、流れなんですよ。この波動を手に取っていたりとか、鞄に持ってくれている人もいます。本棚に置いといてもいいんだよ。そういう時にさ、これがあったら希望なんだよね。そういうものって、一つね、あると救われるっていうか、そういう存在になれたらいいなぁと思って設定している本なので”
➡私が当時見た動画はこちらです。自分大好きもっちーさんの「幸せすぎる奇跡展開が来る動画❗辿り着いた人おめでとう🎊」という動画です。
奇跡が起きることを求め過ぎていたせいか、私が早とちりして、本を持っていると奇跡が起きる・・・のように思っていたのかもしれません。。。
曖昧な気持ちですが、ただ、とにかく、何故だか分かりませんがとても惹かれて、自然に購入し、お守りのように持ち歩いていた本です。
お守りのように持ち歩いていたことでどんな具体的な奇跡の効果があったのか?
分かりません。
奇跡が起きたと言えば起きた、起きなかったと言えば起きなかった。
それが答えです。。結果です。
明確な結果を期待してこの記事を読んでくれていた方がいたら、本当にすみません。
私は、父が余命宣告をされ、病気が治るという奇跡を願いました。
様々な本や動画を見ました。本や動画の中にある様々な体験談、成功体験を見ました。
奇跡が実際に起きたという本を読んでは、同じ奇跡が起きて欲しいと思いました。
願っていた奇跡は明確でした。
“父の病気が治る”という奇跡です。
「ありがとう」を言う。たくさん言う。
不平不満・悪口・泣き言・弱音・を言わない。
流しっぱなしにしているだけで奇跡が来るという動画を流しっぱなしにする。見る。
余命宣告をされた人が治り今元気にしているという体験談を本やブログで見る。
・・・・・自分一人でできること、人知れずひっそりとできることを、様々しました。
奇跡が起きるという行動を試し続けた結果、その結果は?
明確に望んだ奇跡は起きてくれたのか?
起きませんでした。
父の病気は治りませんでした。
はい、奇跡は起きませんでした。
でも、でも、ですね。
奇跡は、起きたのかもしれない、とも思うのです。
残り数か月と宣告された命を父は1年も生きて、そばにいてくれた。
医師も驚くほどにガンの痛みが全くなかった。
ずっとではないにしろ、よく眠り、散歩もし、買い物にも行き、食べ、排尿排泄し、テレビを見たり動画を見たりニュースアプリを読んだり、共に生活をしてくれた。
笑ってくれた。怒ってくれた。泣いてくれた。喜んでくれた。手を握ってくれた。
この1年、奇跡という言葉を思い続け、気づいたことがあります。
奇跡は、何を奇跡と思うのかによって、起きるか起きないか変わる。
今も起きていると思えば常に起きているし、いつまでも起きないと思えば起きることない。
朝目が覚めること、目が見えること、耳が聞こえることを奇跡と思えば今奇跡は起きている。
ガンが消滅することを奇跡だと思えば、父には起きなかったという起きないものと考える。
だから、奇跡が起きる、奇跡が起きた、という言葉は簡単にも使えるし使えない。
その言葉を使う人次第。
そしてその言葉を信じるか、信じたいか、実践するかしないか、その人次第。
書いてあった通り実践したけど起きないじゃないか!と怒るのも恨むのも間違い。
奇跡という曖昧な言葉に対しては誰も正解も間違いもない。できない。
私は、この本を病院に毎回持っていくことで、常にバッグに入れてあることで、少しでも心が落ち着きました。
父の前で不安や恐怖を出したくなかった私をフリでも頼りになる娘でいさせてくれた。
感謝している本の1冊です。
大切な人に自分自身が感じている不安や恐怖・心配・怒り・イライラなどのマイナス感情をバレたくない時、ありませんか?
父が余命宣告をされ、父はもちろん、家族がみんなお互い、泣きたい時は泣こう、悲しみたい時は悲しもう、怖い時は怖いって言おう、思っていることは言おう、我慢しないで気遣わないで、家族なんだから頼り合おう。
そんなことをふんわりですが言葉にして伝えあいました。
それでも、マイナスな感情を思うままに口に出し、顔に出し、態度に出す、ということはあまり私自身したくありませんでした。
不安や恐怖といった感情は、聞いた側もともと感じている感情にプラスして言った人より聞く側の方が負担になることがあるから。
だって、私は余命宣告をされた本人ではないから。
本人が弱いところを、強くありたいところを、さらけだし見せてくれるのは構わない。
でも、私は違うだろ、と思っていました。
父がもし、弱気になる時、不安になる時、怖い時、安心させてあげられるような、頼りになるような、気が紛れるような、ほんの少しでも大丈夫だと思わせてあげられるような、
強いあたたかな存在でずっといてあげたいと思っていました。
そんな存在になれていたのか分かりません。。。
優しい父のことだから、私が精一杯そういう存在になろうとしていることを分かっていたのかもしれません。
弱気になり続けそうな私の心を、ぐっとブレーキをかけてくれたのが、望月さんのこの本や、「ありがとう」を言うことでした。
今になり改めて動画を見て、その中で彼女が言っていた言葉の通りだな、と思いました。
そういうものって、一つね、あると救われるっていうか
そういう存在になれたらいいなぁと思って設定している本なので
そう、まさに、救われていたんだなぁ、心が。と。
心の救いになってくれるものに偶然あの時出会えたこと、感謝しています。
あの頃の私と同じような状況の方がいたら、
何でもいいです。
それが本であっても、動画であっても、絵であっても、音楽であっても。
ずっと常にでなくても、ほんの一瞬でも、あると救われるもの、そんなものがあると
弱気になり続けそうな、誰にも感情をバレたくない時のブレーキになってくれます。救いになってくれます。
あの頃の私のような状況にある方がいたが、救いになるもの、あったらいいな。
※ちなみに、父が亡くなってから、なぜだか、しばらく、自然ともっちーさんの動画を見なくなりました。色々な父とのことを思い出すトリガーになるようで無意識で怖かったのかもしれません。。。怖かったというか、寂しい思いを増幅させてしまうと思ったのかも無意識で。
この記事を書くにあたって、今日、久しぶりに動画を見ました。
川の流れの音、もっちーさんの言葉、表情が、すぅーっと身体に入ってくるようでした。
やっぱり、私は、相変わらず、好きですね。
一番最近の動画も見ました。
美味しそうに、本当に美味しそうにおにぎりを食べているのが、幸せを感じたんですが、不思議と泣きそうになってしまいました。
あぁ、こういうのが幸せだよなぁって。食べられること、味がすること、味わえること、美味しいと思えること、こういうのが幸せだよなぁって。
父にこんな幸せになれるおにぎり食べさせてあげたかったなぁ、一緒に食べたかったなぁと勝手に一人思いが膨らんでしまいました。
悲しいけれど、寂しいけれど、優しい気持ちになれました。
これからも、ちょくちょく、もっちーの動画を見ていこっと。
➡興味のある方は、自分大好きもっちー公式HP