思考に押しつぶされそうなとき、逃げ道はありますか?
この記事を読んでほしい人
➡家族が余命宣告をされ、恐怖や心配・不安などの思考が頭から離れず、辛い人
➡常に頭も、心も、マイナス思考に捕まってしまっている人
このブログで書いてきましたが、自分自身の能力ではどうしようも出来ない状況の中でも、
なにかしたい時、なにかできることはないのかと考えた時、私は「ありがとう」という言葉の力に頼りました。
“父の病気が治る”という奇跡が、起こってほしいと願って。
結果として、私が望む奇跡は起きませんでした。
それでは、「ありがとう」という言葉を言い続けたことを後悔するのか?
その行動をした自分を否定するのか?
今、私は、後悔していないし、自分を否定もしていません。
それには2つの理由があります。
1つは、望む奇跡は起きなかった、でも奇跡は起きた。
奇跡だと思えることが、ちゃんと、確実に、起こってくれたから。
※このことについては、別記事にかいてありますので、ご興味ある方は読んでみてください。
2つめは、「ありがとう」を言い続けて言い続けて、1年経ち、今気づいたことがあります。
それは、『私自身が救われていたこと』
一つの言葉を言い続けることにより、他の思考が思い浮かぶのを、入ってくることから逃げることができていた。
思考の逃げ道を作れていたから。
バカバカしいことだと他人からは思われるようなことであっても、ただただ朝起きた瞬間から頭の中には「ありがとう」「ありがとう」が浮かび、言葉にし、夜布団に入り寝付くまでの間「ありがとう」「ありがとう」を可能な限り言葉にしていた。
ほぼ無意識に「ありがとう」「ありがとう」を言葉ににし、言葉にしない時は心で唱えていた。
考えたくもないのに、思いたくもないのに、思考は次から次へと生まれます。
自然と笑顔になる、楽しくなる、嬉しくなる、幸せな思考なら喜ばしい。いくらでも浮かんでいい。大歓迎。
ですが、あの当時の私は嫌な思考ばかりが勝手に次から次へと生まれていた。
言葉にするのは難しいのですが、それでもあえて言葉にするのであれば、主に3つ。
[恐怖][心配][不安]
それらの思考が隙間なく際限なく勝手に生まれよう滞在しようとしていました。
それらの思考からの逃げ道を作ってくれたのが、
「ありがとう」という言葉を言い続ける、思い続けるという行動でした。
言うことに、思うことに意識が向いている時はその行動に意識に必死になる。
無意識に言うレベルになると、無意識に「ありがとう」という言葉だけに集中する。
※目の前の父を、家族をないがしろにし言葉を言い続けた、という意味ではありません。
その時はただただ一緒にいる。触れる。話す。ことをしていましたよ。
第一に大事にするべきは、ただ一緒にいる。触れる。話す。そのことでしたので。
思考の逃げ道を自分でも気づかぬうちに作れていた。
もちろん、思考から逃げられない時もありました。
全て逃げられるほど、恐怖も心配も不安も浅くはないですよね。
それでも、思考の逃げ道があることで、ほんの少しでも隙間ができることがある。
そして、その隙間があることで、心からの笑顔ができる、本当の笑顔を目の前の大切な人に届けられる。
笑顔は人を元気にするという。エネルギーを与えることができるという。細胞を元気にするという。
いつも目の前の人が何かを怖がっている恐怖の顔をしていたらどう思うだろう?
いつも目の前の人が自分のことを心配そうな顔をして見ていたらどう思うだろう?
いつも目の前の人がただただ不安そうな顔をしていたらどう思うだろう?
私は父の前でそんな顔をしたくなかった。
歯を出してガハハってお腹から心から、ただ嬉しいと楽しいと幸せだと笑うことはできなくても、父に笑顔が移るような笑顔をしたかった。安心できるような表情をしていたかった。
思考の逃げ道があることでできた、ほんの少しの隙間に精一杯の心からの笑顔を、
明るさを、父に届いてほしいと思いました。届けたいと思いました。
私がこのブログでお伝えしているような方法でなくて構わない。人それぞれ。人それぞれ信じることも、信じたいことも違う。
ただ、思考の逃げ道を、どうか作れる策を持っておいてください。
友だちに胸の内を吐き出すでもいい、仕事に集中できるのであればそれでもいい。
どうか、自分の心や身体を考える余裕がないのも、考えたくないのも分かるうえで、お伝えします。
自分自身の心を、身体のことも考えてあげるようにしてみてください。
ここからは、参考となる本を2冊ご紹介します。
どちらも、YouTube動画もされている“大愚和尚”さんの本です。
1.「人生が確実に変わる大愚和尚の答え」(大愚元勝)
「人生が確実に変わる大愚和尚の答え」(大愚元勝)
著者:大愚元勝
出版社:飛鳥新社
出版年月日:2020/10/6
ページ数:288p
こちらの本の中に、万策尽きたら般若心経を唱えなさい、という項目があるのですが、
そこに書かれている文章に、私は何故だか安心感のようなものを感じました。
そう、まさに、逃げ道を作ってもらったような。
大切な人のために笑っていられるような、笑顔を伝染させてあげられるような自分でいるために。
マイナス思考に覆いつくされ、大切な人に余計な恐怖や不安を与えないように。
せめて何もできない私でもできること。すること。したらいいこと。してもいいこと。
私がおこなった「ありがとう」という言葉をたくさん言うこととは唱える言葉は違いますが、
思考の逃げ道を作る方法として通じるものがあると思いました。
私たちがよくやってしまうのは、自分を責めて災難や苦しみと戦うこと。どんなタフな人でも、戦い続けたら疲弊します。
状況を打破する糸口が見つかる可能性だってあるのに、必要以上に恐れ、嘆き悲しみ続ければ、消耗して免疫力を大きく低下させてしまいます。どうしてもつらいなら、般若心経を唱えてください。
一番短くて、宗派を問わないお経です。声に出して唱えてもいい、写経してもいい。
ー「人生が確実に変わる大愚和尚の答え」(大愚元勝)より引用
元気なときは努力しなさい。
だけど自分がどうしようもなく弱ったときは何かにすがってもいいんです。
ー「人生が確実に変わる大愚和尚の答え」(大愚元勝)より引用
”元気”・・・・・・・。。
当たり前に、意識もせず日常的に使っていたこの言葉が、どれほどの【幸せな言葉】だったのか、分かりました。
「元気?」「元気だよーー」って気軽に言い合える日常が、どんなに幸せなことなのか、分かりました。
般若心経を「ありがとう」の言葉に変えて、私は言っていました。
努力する元気をもてない時、自分自身でも自分がどうしようもなく弱っていると思う時。
でもそれを大切な人に見せたくない時。
思考の逃げ道となるものが自分にはあると思っているだけでも違います。
2.『最後にあなたを救う禅語』(大愚元勝)
『最後にあなたを救う禅語』(大愚元勝)の概要
著者:大愚元勝
出版社:扶桑社
出版年月日:2020/9/19
ページ数:311p
こちらの本の中の、「一行三昧」という項目に書いてある文章が、伝えている根本は違うのですが、私は勝手にあの当時の思考の逃げ道に通じるな、と読んでいました。
※「一行三昧」・・・雑念や妄想にとらわれず、ひとつのことに全身全霊で没頭している状態のこと。
頭の中の騒々しさから逃れて「一行三昧」するにはどうしたらいいのでしょう。
私は、「動詞を念じて雑念を取り払う」ことを心がけています。実は雑念というのは「面倒くさい」「つらい」「面白くない」「疲れた」というような形容詞の言葉なのです。少し気を許すと、すぐにこれらの形容詞が頭の中を占拠します。だからそれらの形容詞が浮かんでくる前に、ひたすら動詞を念ずるのです。
ー『最後にあなたを救う禅語』(大愚元勝)より引用
キンドルアンリミテッド
私が考えたくない思考は、思いたくない思考は、「怖い」「辛い」「悲しい」「寂しい」
それらの形容詞が浮かぶ隙を自分の中に作らない。
浮かんでくる前に、私はひたすら動詞ではなく、「ありがとう」を唱えました。
これからも、「怖い」「辛い」「悲しい」「寂しい」というような形容詞の言葉が頭の中を占拠しようとすると思います、私の意志に関係なく。
そんな時、例えば、「歩く」「歩く」「歩く」「歩く」などのように動詞を念じ、その行為に集中することにより雑念を取り払う、どっかにやっちゃう、という逃げ道があるんだと頭のどこかに覚えているだけで、完全な闇落ちから逃れられるかな、と思っています。
自分が闇になったら、周りにいる大切な人も闇にしてしまうかもしれない。
そんなことはしたくない。
せめて、周りに大切な人がいてくれる間は、どんなに「怖い」「辛い」「悲しい」「寂しい」が沸いてきてもそれらには100%占拠されないぞ、と思っています。
まとめ
「ありがとう」という言葉の力を頼ったのは、父が余命宣告をされてからです。
それまでの私は、何か問題があっても何か悩みがあっても、自分の力で解決すべきでしょ、という考えでした。
弱音を言う人のことがとことん嫌いでしたし、軽蔑もしていました。見下していました。
何か問題があっても何か悩みがあっても、自分自身の意識の違いだけで解決できると思っていました。解決してきたと思っていました。
他人に不安や悩みを打ち明けることは恥ずかしいというよりも、他人をそこまで信頼できない、と思っていました。
優しいふりをして、明るいふりをして、職場のムードメーカー上司だねと言われつつ、心では他人を信頼できず、他人を見下していました。
部下も、同僚も、上司も。
そのくせ、他人には自分を認めて欲しくて、凄いと思われたくて、仕事の地位と給料の高さにこだわっていました。必死でした。
世間的にも名前を知られているような会社で働き、そこそこの地位になり、給料も一緒の部署の中では多くいただけるような日常を送り、職場では優越感を感じていました。
そんな私を、突然、絶望が襲いました。
父が、余命宣告をされました。
私が何を考えたところで、何をしたところで、解決することではありません。
自分自身の意識の違いだけで何でも解決できると間違った考え方をしていた私に、世の中の常識を人間の当たり前を突き付けられました。
辛い思いをしている方、怖い思いをしている方、寂しい思いをしている方、
以前のわたしとは違って皆さんご存知だと思いますが、自分の力でどうにかできないことがあります。仕方ない。
記事を書きながら、ほんと何様なんだよ、私って思います。
何様でもありません。
悟った人でもなければ、奇跡を起こせた人でもありません。
ただの44歳の独身のおばちゃんです。
幸せなことにまだ両親がいる、でもその大切さに、以前の私のように気づけず日々の仕事や家庭生活に追われている人がいたら、是非本当の後悔をする前に気づいてほしいな、という勝手な思いで書いております。
あの当時の私のような思いをしている人がいたら、何かの参考になればという勝手な思いで書いております。
そして同じような経験をした方、ともに頑張っていきましょうという気持ちで書いております。
おこがましい考えかもしれませんが、誰かのお役に立てれば嬉しいです。
キンドルアンリミテッド”般若心経”というものに、父の死後、興味を持ち始めました。これから、少しずつ勉強していきたいと思っています。
今の時点で学びの参考にしているのは以下の2冊の本です。他にも初心者の私でも理解しやすい本があれば教えて下さると嬉しいです。