43歳・・・けっこうな大人です。
それなりに長い年月の人生を生きてきています。
その歩んできた人生の中で、“後悔”なんて、
当たり前に、普通に、何度も、してきていた。
・・・・そう思っていました
ですが、2021年6月。
そして、それ以降、私は“後悔”というものが、どういうものなのか、
その本当の意味を、本質を、思い知らされました。
2021年6月、父親が余命宣告をされました。
言葉では表現できない感情を感じさせられ、本当の“後悔”というものを思い知らされました。
これまでの自分自身の生き方を後悔しました。
2021年6月までの私の生き方・・、それは、自分の体裁を何よりも大事にし、
承認欲が高く常に他人から見られる自分を良く見せたい、見栄っぱりで頑固な生き方でした。
後悔していることは、【父親を、家族を1番大切にしてこなかったこと。】
心では、気持ちでは、頭では、常に、家族を1番大切にしてきました。
大切だと思っていました。
家族を幸せにすること、家族みんなが幸せであること、その為に自分は生きていて、そのことが私の人生のテーマだと思っていました。
でも、実際の私の行動は、自分の体裁や承認欲を1番大切にしてきました。
私は43歳になっても、結婚をしていません。
自分の意志で結婚をしてこなかったにも関わらず、今さらになってだんだんとそのことが
恥ずかしいことだと思い始めました。惨めなことだと感じ始めました。
人間として、女性として何か欠陥があるのではないか、他人から必要とされない人間なのではないか、、、、、
人間としても、女性としても、自分には魅力がないような思いがしてしまい、そしてそんな自分が周りにどう見られているのか惨めに見られているのではないか、可哀そうだと思われているのではないか、見下されているのではないか・・・それらを補うようにカバーするように上回るように、会社や世間での地位を良くすることを必死に頑張っていました。
結婚していないことを会社の中で世間的に下に他人から見られないように、会社や同年代の人達を見下せるように、必死に見栄を張れるように・・・その武器として仕事を頑張っていました。仕事・住む地域・マンション・洋服・・・そんな外から見える部分を良く見せようと必死に一生懸命がむしゃらに頑張ってきました。
それなりの会社での地位を得て、給料も得て、見栄を張ることができるようになって、
、、、、、それでも、もともと頭が良いわけでもなく、要領が良いわけでもない私は、毎日
必死で辛かったです。
毎日勉強していました、人一倍仕事をしていました、休みの日も勉強をして、心が休まることがありませんでした。良い人優しい人を意識してしていました。いつも将来の不安と心配でいっぱいでした。
今はこの地位にいれるけれど、今はこの会社で働いていられるけれど、今はこれだけの給料を稼いでいるけれど、このまま歳をとっていったら?って、不安と心配ばかりしていました。
家族が自分にとって何よりも仕事よりも大切だと頭で心で思っていたにも関わらず、その
行動はできていなかった。
稼いだお金で毎月仕送りはしていたけれど、心がついていっていなかった。
このまま私が結婚をしないのであれば、いつか、地元に帰り一緒にのほほんと暮らそう。
そんな風にのほほんと、あやふやに、曖昧に、ぼんやりと考えていた。
その時はそばで、仲良く親孝行しながら暮らしていきたいなんて・・考えていた。
私が歳をだんだんとって中年になり、もう少しで中高年になりそうなのに、親はいつまでも
健康で実家でにこやかに幸せに健やかに暮らし続けると、馬鹿みたいに思い込んでいた。
そんな私に、2021年6月、突然に唐突に、現実を見なければいけない出来事が起こった。
本当の後悔を知った 知らされた 思い知らされました。
何も将来の自分たちの健康に関して不安になることもなく、健やかににこやかにのほほんと家族団欒を過ごすことは、もうできないことなんだと。
後悔しました。
なぜもっと早く実家に仕事を辞めて帰って一緒に暮らさなかったのか?
なぜもっと一緒に過ごす時間を確保しなかったのか?
なぜ?なぜ?・・・・・・・
なぜ、の答えは明確に分かっていました。
自分の体裁が大事だったからです。見栄を世間や会社にはりたかったからです。
結婚はできていないけれど、地位や給料という点では上のほうにいて凄いと思われたかったからです。
つっまらないプライドだらけだったからです。
だからこそ、そんな自分をここで捨てなきゃと思いました。変わりたいと思いました。
世間にどう思われようと、会社の方達にどう思われようと、迷惑をかけてしまうことは申し訳ないけれども、
初めて、周りにどう自分が思われても構わないと思いました。
自分の本当にしたいこと、したくてしたくてたまらないことをそのまましようと思いました。
父と、家族みんなと、共に過ごそう。過ごす時間を自分で確保しようと。
仕事を辞め、東京から実家に引っ越すことをすぐに決めました。
一緒にいる時間・・そのことに関して、もうこれ以上、後悔をしたくなかったから。
そばにいたかったから。一緒にいたかったから。そばにいてほしかったから。
大切な人との時間・・・これほど大切で、そして二度と時間を戻せないことはない。
後悔がこんなに深く悲しく辛いことだとはこれまでの人生では知りませんでした。
あっさい後悔をいくつもして、それに対しての対処もせず、二度としないぞという決意もすぐになくなっていく・・・そんな浅くて中身のない後悔ばかり繰り返してきました。
だから、本当にこの後悔は辛かった。
自分がこれまでしてきた人生のどの選択でさえ、ああしておけば良かった、本心はこうだったのに、あの選択をしなかった自分を何で何でと考えてしまいました。
それでも、戻らない。戻らない時間をいくら考えても戻らない。
だからこそ、もう世間の体裁を気にして家族といる時間を確保する時間を持ってこなかった自分に対する後悔はもうここで決別しようと決断しました。
本当の後悔をしないように。どうか浅い後悔をしているのであればそれだけで済みますように。辛いから、他の誰かがこんな後悔をどうかしませんように、。
そして、ここからは、私自身へのメッセージとして。こんな風に生きていこうというのがあるので、アウトプットとして記します。
何事も意志があればやり通せるという考えですね。
(中略)
たいがいの問題はこれでよかったのです。この発想で片づいてきたんですね。
ところがほんとうにどうにもならない問題がドンと突きつけられることがあるのです。そのときどうするか・・・・・・。あらゆることをやってみたが、私にはできませんと思いきることなんです。
私の力ではどうにもならない、神さま、あとはお願いします、と言いきってしまうんです。それができた人は、その問題が突破できます。
そして一度それが突破できると、自分の手の届く問題に囲まれているときに、これは自力でもやれるけれど、このレベルにもお願いしようと頼んでしまうのです。なんの努力もいらない、ただただお願いするのです。
これは神仏だけではありません。目の前にいる友人、知人、家族、そして私の体、そのすべてが味方になってくれたら、私はただ「ありがとう」と言っているだけでいいのです。大きな存在に感謝するしかないのですね。
―宇宙方程式の研究(小林正観、山平松生)より引用
著者:小林正観、山平松生
出版社:風雲舎
出版年月日:2001/6/1
ページ数:210p
ここまで崇高な考えに至るには私はまだまだです。
人を抜きんでることばかり考えて自分の体裁と見栄を第一に考えてきた私ですから(笑)
人に感謝するフリはしても、心の底から人に感謝したことあったのかしら?と思うような
人生を歩んできてしまいました。かれこれ40数年(笑)
ここから、私がはたしてどう変わっていくのか、見ていてほしいですね。
良い方に変われていくことが、せめてもの私に今からできる親孝行のような気がするから。
人との触れ合い、共に過ごす時間を大切にし、本当の優しさと思いやりがあり、誰かを喜ばせる楽しませる幸せにできる人間であの世で会える時ありますように。