ありがとうの奇跡

父親が余命宣告をされてから行動して良かったこと

➡父親と(家族と)一緒に入れる時間を作った

具体的に

  • 仕事を辞めた
  • 実家に引っ越しをした

もちろん、父親が余命宣告をされてその日のうちに、仕事を辞めた、引っ越しをした、

わけではありません。

しかし、会社に仕事を辞めたい旨をお伝えはしました。

「社会人として仕事の責任感はないの?」

あります。

ですが、父親と一緒に入れるようにする。そばにいたいから、私が。

その感情の方が、思いの方が、私には大事でした。

その時していた仕事は、会社の研修講師などもしておりましたので、“責任”という点では

けっこう大きな役割をさせていただいてました。

担当する研修の予定も半年先までありました。

40過ぎまで結婚もしていない、子供もいない、田舎から出てきて一人で東京暮らし、

仕事での役割や責任を果たせていないのであれば、”負け組“だなんて考えていた私です。

私にとって仕事を一生懸命にすること、役職を得ること、他の社員よりも給料を

より多く稼ぐこと、周囲の承認賞賛を得ること、そのために必死で生きていました。

親が、家族が1番大切だと常に思いながらも、実際にしていることは役職や給料をより良くするために仕事を頑張ること。これだけでした。これだけしかできていなかった。

そんな私に、もしかしたら神様が1番私に家族の大切さを、行動として実際に家族を大切にするということの

本質を教えるために、父親の余命宣告という形でしてきたのかもしれない、そんな風にも

思いました。

今でも、そう思っています。

そして、同時に、もう二度と挽回することができない、やり直すことのできない、大きな後悔を私はしています。

一人で東京に行かずに、地元で、家族の元で、この家で、生きていれば良かった。

と。

父親が余命宣告をされたと知った時、それまでの自分の人生の選択してきたことを私は

後悔しました。

【後悔】というものがどういうものなにか、本当にこの時に思い知らされました。

もう二度とやり直せない、どんなに望んでもやり直せない、取り戻せない。

だからこそ、とにかく、私は父親が余命宣告をされ、ただただ父親と一緒にいる時間が欲しかった。。父親と一緒にいたかった。家族で一つの家に暮らしたかった。

これ以上、1番大事にしたいものが分かっているのに、行動しないことをしたくないと

思った。自分の1番の感情にただただ素直になろうと決めました。

たとえ、誰かに迷惑をかけることを分かっていても。負担をかけることを分かっていても。

仕事を辞め、実家に引っ越しをしました。

そして、そうすぐに行動したことは、本当にして良かったと思っています。

この点に関しては、後悔をまったくしていません。

父親に、私が仕事を辞めたことを申し訳ないと言われたこともあります。

そんな風に思わせてしまったことをごめんねと思います。

でも、私は心からの笑顔と言葉で伝えることができました。

それまでの人生で常に思っていたのに言えていなかった言葉たちを。

”一緒にいたいんだよ。私が。大好きだから。大事だから。そばにいれて嬉しくてたまらないんだよ。””一緒にいてくれてありがとうね”

今でももしかしたらあの世で思っているかもしれませんね。申し訳なかったねーって、ありがとうねーって(笑)

父は私のしていた仕事を喜んでいてくれたので。

しかし、その仕事でなくても仕事は仕事。父がまた誇りに思ってくれるようにこれからまた頑張っていけばいいだけのこと。

仕事を辞めた。引っ越しをした。

この2つが、父親が余命宣告をされて行動して良かった、と思っていることです。

※人それぞれの人生、仕事を続ける、という選択もあるかと思います。お金の問題や、

結婚しているのであれば嫁夫・子供との関係もあるかと思いますし。

これは、私の選択で、私はこの選択を何も後悔していないということです。強要している

わけでも、必須のことでもありませんので、ご承知おきくださいね。

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