私は平々凡々な中年女です。
先生は先生でも新入社員研修で講師をする先生でした。医者の先生ではありません。
つまりなところ、病気を治す技術も知識も全くありません。
父が余命宣告をされた。
家族として何ができるんだろう?何かできることはないだろうか?
“病気が治ってほしい”という願いは大きく深く思うものの、私が病気を治すために具体的に確実にできることは何一つとしてありません。
家族思いでお金の心配をしてくれる父に保険の手続きをしたり・・・具体的にできるのは”病気を治すための行動“ではなく”少しでも安心してもらう行動“ぐらい・・・。
いえ。
そういう行動も、結局は、本人ではなく、家族が安心するためにすること、なのかもしれません。
もちろん色々な準備をすることでほんの少しでも心が安心した状態で病気の本人を支える・看病する、ということはお互いの為にも良い事だということはわかるけれども、やっぱり誰の為?という問いには、病気の本人の為というよりその周りの人達のためにしていると私は思う。
具体的にできる結局は自分たちのための行動、ももちろん大事で必要です。
だからそれ自体が間違いだとも酷いことだとも思わない。自分も保険の手続きとか会社の特別有給とるための診断書提出とかの行動したので。
ただ、そういうことではなく、何もできないど素人の私は、悪あがきのごとく父が余命宣告をされ何かど素人でもできるこないのかと思いました。
といっても、医者でもない医学の知識もない私が出来ること、家族が病気を治すためにできる確実で成功例がありふれている・科学的に証明されているような病気に直接効くような具体的な方法など、どこにも載っていません。誰も教えてもくれません。
家族として何ができるんだろう?何かできることはないだろうか?
何をするべきなんだろう?何をするのが正解なんだろう?
娘として私がどうあるのが父にとって1番いいことなんだろう?
答えの出ない、いえ、答えなんてきっとない正解のない問いを何度も考えていました。
そんなあの当時の私が出会った本・文章がありますので、このブログではご紹介したいと思います。
家族の視点で書かれているものが少ない中医者でない私にも何かできるのではと思わせてくれた文です。
※ただ、こう思うのは私自身の独りよがりの思いです。
私がどう思おうと、どれだけ何を思おうと、私は病気ではないですから。病気の人の、余命宣告をされた人の気持ちは分かりません。
それが家族であろうと他の身体で他の脳ですから、身体の不調も思考も分かりません、違う人間ですから。
ですから、不快だと思われる方はどうか読まないでくださいね。
多くの本を読んでいくうちに、医者でもない、神様でもない、そんな平々凡々の私でも、何かできるのでは・・・と思わせてくれたことが4つありました。
大切な人の病気に関してありがとうの奇跡を起こしたいと願う(家族)側の視点
今、目の前のことを大事にすること
笑うこと
自分自身が家族にとっての太陽であること
・・・・・こうして改めて冷静に見ると、なんとも抽象的・曖昧なことですね。
数字にして表すことができない、満点が分からない。
それでも、平々凡々の、医学的な知識もなく他に病気に役立つ知識もない私にとって、
せめて父の為にできること。と考え本気で四六時中取り組んでいました。真剣に。
大切な人の病気に関してのありがとうの奇跡を起こしたいと願う(家族)側の視点
この記事では、自分自身が家族にとっての太陽であること。について書いております。
あの頃の私のように
家族として何ができるんだろう?何かできることはないだろうか?
何をするべきなんだろう?何をするのが正解なんだろう?
娘として私がどうあるのが父にとって1番いいことなんだろう?
とお悩みの方がいれば、ほんの参考程度に読んでみてください。
※どういう効果があったのか、それは分かりません。
一言で片づけてしまえば、【ただの私だけの自己満足】なのです。
私が目の前の人をただ大事にしたところで、笑ったところで、家族を明るくしようと考え実践したところで、どう相手側が感じるのか、どういう影響を与えることができたのかは、思うのかは、いくら家族といえども100%分かりませんから。
家族が、大切な人が余命宣告をされた。。
本人ではなく、家族側の立場として、私の、私の家族の、選択したことや思いを書いたブログです。
まずは、そもそも何故、『自分自身が家族にとっての太陽であること。』を意識してしようと私が考えたのか、そのきっかけとなる本、そしてそこに書かれていた文章を紹介します。
家族の視点で書かれているものが少ない中医者でない私にも何かできるのではと思わせてくれた文③
『自分自身が家族にとっての太陽であること。』をしようと、きっかけになった本は2冊あります。
1.『宇宙方程式の研究 小林正観の不思議な世界』(小林正観)
『宇宙方程式の研究 小林正観の不思議な世界』(小林正観)の概要
著者:小林正観
出版社:風雲舎
出版年月日:2001/6/1
ページ数:210p
【自分が太陽になる】という項に書かれています。
太陽にはまず明るさがありますよね。太陽が上がればまわりが暖かくなります。さらに太陽の光を浴びていると、人は―動物植物も生きとし生けるものすべてが―大きくのびをしたり、体を動かしたり、なにかをしようという気になります。つまり太陽になるというのは、明るさ、暖かさ、そして相手を芽ぶかせるもの、なにかやる気を起こさせるもの、その三つを持つようになるのですね。自分が太陽になっていつもニコニコしていればいいんです。そうなると、あなたのそばにいると明るく暖かな気分になるといわれますね。それでいいんです。
ー『宇宙方程式の研究 小林正観の不思議な世界』(小林正観)より引用
私には、なーーんにもできないんです。直接的に病気に向かってできることは。
治療も出来ないし、せめて病気に直接効くような食事を思っても病気に効く食事があるのかも何なのかも分からない。
無力そのもの。
そんな無力の私を無力のまま、嘆き続けるのは嫌でした。何かをしたかった。
父のため、というより、もう自分のためだったと思います。
悪あがきだろうと、現実を受け止められない小心者や弱人間呼ばわりされようと、
無力は無力なりに何かをしたかった。
それだけ、私にとって、家族にとって、大切で尊い父親だったということです。
私以外のご家族の方もそうではないでしょうか?
これまでの人生では経験したことがない何もできない無力を感じている。
それでも何かしたい。何かさせてくれ。何かないのか?
そんな自分にとって、抽象的なことだろうと何だろうと“何かはできる”、そう思わせてくれた本です。言葉です。
自分が太陽になってニコニコしていよう。ニコニコ出来なければ微笑んでいよう。
溌溂とした明るさは無理に感じなくていい、暖かな気分に、雰囲気に、なってくれればいいな。
抱えているかもしれない不安や心配・恐怖を太陽のような光で溶かしてやりたいと、
馬鹿みたいですけど、心から真剣に思っていました。
医学的なことで、科学的なことで、私は希望という光を放つことはできないけれど、
せめてニコニコして、微笑んで、父に、家族に、家に、暖かな太陽のような光を、暖かさを届けることができたらと真剣に考えていました。照らしたかった。
実際にしたことは、笑顔の量を意識して増やすこと、笑顔の質をちょっぴり大袈裟にすること、穏やかな心と微笑みを意識して家にいる事、これぐらいです。
意識して・・・って、なんか作り物の笑顔とか心とか、せっかくの家族なのに、その方がどうなの?自然といる方がいいんじゃない?と思われる方もいるかもしれません。
もちろん、もちろんです。
自然にいられる時、自然な笑顔でいられる時、たっくさんありましたよ、一年間の中で。
本当に楽しいことも、嬉しいことも、幸せなことも、たっくさんありましたから。
それでも、不安が日常を飛び越えることがあります、恐怖を自然でいたい感情を飛び越えることがあります、心配で一日を塗りつぶされることがあります。
そんな時に、家族全員で不安と恐怖と心配にやられるよりも、誰か一人でもそれでも、傍から見たら馬鹿に見えても、嘘でも作り物でも、全部が全部できなくても、せめて「大丈夫だよ」って微笑んで背中を摩り、手を握る、そんな馬鹿がいてもいいと思いました。
抱えているかもしれない不安や心配・恐怖を太陽のような光で溶かしてやりたいと、
馬鹿みたいですけど、心から真剣に思ったから。
それでも、父と一緒に手を握りながら泣いたこともありました。
「寂しいか?」と聞かれて、「寂しいよ」って心のままを吐露し、泣いたこともありました。
父の方が心配して「大丈夫だよ」って言ってくれることもありました。
今にして思い返すと、
自分が父にとっての太陽でありたいと思っていたのに、
父が太陽であってくれたのだと思います。
そう、今までの人生の中で、私が生まれてずーっとそうであってくれたように、
病気でさえも、病気なんかにはちっとも負けずに、
父は、私にとって、家族にとっての、太陽でありつづけました。ありつづけてくれました、自然に。
凄いよなあ、父親って、親って、自身が何歳になっても、超えることができない凄い存在です。
私以外の方も同じように感じる方もいらっしゃると思います。
病気なんかに負けず、ずーっとこれまでと変わらず、これからも太陽でいる人っていると思います。
そういうことを考えると、なんだか神様、凄いでしょって自慢したくなりますね。
我が家のお父さんは、神様が病気にしたけれど、ちっとも負けていないでしょ?みたか!って。
それから、“太陽”ではありませんが、“光”という表現で、実際に自分自身から光を届けることができるの?と思わせてくれた興味深い文章もありますので、ご紹介します。
自分から本当に”光“という形を発することができるのか?と思わせてくれた興味深い文
2.『小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉』(小林正観)
『小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉』(小林正観)の概要
著者:小林正観
出版社:主婦の友社
出版年月日:2021/5/19
ページ数:159p
「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ついてる」という肯定的な言葉を口にしている人は、その人がそこにいるだけで光を発する。そしてその光は、暗い人を照らす。
ー『小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉』(小林正観)より引用
これだけ読んでしまうと、またまた抽象的な・・と思うかもしれませんが、このようにも書かれています。
・「光」という象形文字は、「人」の頭の上から五方向へ光線が発しているという様子がもとになっている。
・実際に昔の人は、確かに光を発している人がいるということが見えたから、こういう文字がつくられたのだろう。
・じゃあ、「光」はどういう人の頭から発していたのかというと、それは「明るい」人
頭の上から光線・・・光・・・私はこれらの文章を読んだ時、光を発したいと思いました。
仕事一筋でがむしゃらに生活していた時には、おそらくこの文章を読んだ時、そんな馬鹿な、現実的じゃない、そもそも光ったからなんなんだ、、、と思っていたでしょう。。
しかしあの当時の私は、本当に照らせるものなら照らせる存在になりたいと思いました。
電球も街灯もある現代人にとっては、人の頭から光が発せられるというのはわかりにくいのですが、実は真っ暗闇の中で、明るい言葉を発する人と、愚痴や泣き言ばかり言っている人とでは、闇の中で光り方が違うので試してみてください。人間の頭から、光が発していることがわかります。
実際に、ニッコリ笑って「ありがとう」と言うと、ぼうっとあたりが明るくなります。その人の体から光が発せられているのです。
ー『小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉』(小林正観)より引用
講演会の会場で、電気を消して、みんなで「ありがとう」を言うという実験をやってみました。1~2分たつと、ひとりひとりが光ってくるのです。実際にそういう現象があります。
肯定的な言葉をいつも発している人のそばにいると、いつもあたたかくなる、ということが体験的にわかってきます。「オーラ」という言い方をしてもいいのですが、明るい方向性を持っている人は、物理的にも光っているということです。
ー『小林正観さんの「生きづらい」が「楽しい」に変わる言葉』(小林正観)より引用
私は、家族に、父に、“暖かさ”や”温もり“を与えたかった。
“エネルギー”や”パワー“を与えたかった。
”光“を与えたかった。
おこがましい考え方ではありますが、それが私によってできることであるのならば、したかったです。心から。真剣に。
まとめ
私は何度も書きますが医者ではありません。神様でもありません。
医学の知識もありません。勉強もしたことはありません。
ですから、自ら病気を治すための治療をすることはできません。
どういう治療をすることが正しいことなのかも知りません。分かりません。
正直なところ、抗がん剤治療に使用する薬を医師に説明していただいても、分厚い説明資料を見せられても、それが今の父にとって最適な抗がん剤なのか、治療なのかということさえ分かりません。
できるのは、医師を信頼すること。その医師が考えて実践してくれている治療を信頼すること。仕事とはいえ一緒になって父を支えてくれている医師や看護師の方々、病院を信頼し、お任せすること。ぐらいです。
大切な人が病気になる。その時、その病気を治すためにド素人の人間が何ができるのか?
何もできないと思っている、ただただ不安になり、恐怖を感じ、心配しているだけの私にこれらの本は、文章は、”何かはできるのではないか“ということを思わせてくれたんです。
薬ではない、具体的な治療でもない、科学的根拠など薬や治療に比べればごくわずかしかデータのない、“何かできること”。
むしろ、そういうものでしか、家族として具体的にできることは私には見つけることができなかった。
どういう効果があったのか、私は父にとって“太陽”や“光”になれたのか?
それは分かりません。
一言で片づけてしまえば、【ただの私だけの自己満足】なのです。
私が目の前の人をただ大事にしたところで、笑ったところで、家族を明るくしようと考え実践したところで、どう相手側が感じるのか思うのかは、いくら家族といえども100%分かりませんから。
一緒にいることに有難みも、嬉しさも、尊さも、何も感じずに、ただ当たり前に自然に一緒の時間を過ごせていた頃が懐かしいです。
その頃が今欲しくて取り戻したくて、できないと分かっていても思ってしまう時があります。
ご両親がご存命の40過ぎの方で親孝行をいつかしたいとお考えの方がいたら、私が言うのもなんですが、是非ご両親との時間を大切に楽しく愛しく過ごしてください。してあげたいと思っていることはいつかといわずしてあげるようにしていきましょ。
この1年間、私はたくさんの本を読みましたが、それらはほとんど(このブログで紹介している本のほとんど)は、キンドルアンリミテッドで読むことができました。
月額料金のみで何冊も読め、読みたい文章だけをピックアップ読みできるので良かったです。私は奇跡の実体験の部分などは何度も何度もその文章だけ読んでいましたね。
キンドルアンリミテッド